2026.09.01
ストーカー それは生殖本能との闘いだった 第2章 ストーカー規制法が制定された経緯|元警視庁刑事の実録
ストーカー それは生殖本能との闘いだった
第2章 ストーカー規制法が制定された経緯
古城茂春|古城行政書士事務所・古城探偵事務所
(東京・神奈川・埼玉・千葉)
私は、警視庁に奉職した41年7か月の大半は刑事畑を歩きました。主に、暴力団事件を担当する捜査第四課(現・暴力団対策課)や殺人事件を担当する捜査第一課などで勤務しました。
これらの部署で私は、私心を捨てて被害者のためだけを思い地べたに這いつくばって事件捜査に従事しました。
事件解決の糸口が見付からないときには発生現場に何度も足を運び、そこで「今、被害者のために何をするべきか」と自問自答を繰り返しました。
そうすると、「早期事件解決という功名心に焦っている自分」、「上司や同僚からの評価を気にしている自分」、「出世を気にしている自分」、「事件が解決できなかったときの言い訳を考えている自分」が見えてきて、この私心が事件解決を妨げていることに気付かされるのです。
よこしまな私心を捨てて、被害者のためだけを思って懸命に事件捜査に取り組んだ時に初めて事件の神様が降りてきてくれて、それまで思いつかなかった名案が突然浮かんだり、予期していなかった証拠が見つかったりしました。
私は「あの時の聞き込みで目撃者が発見されなかったら」、「あの防犯カメラに犯人が映っていなかったら」、「あの遺留品が発見されなかったら」、犯人に到達することはできなかっただろうと思って後から胸をなで下ろしたことが何度もありました。
それは、砂漠の中で1本の針を見付け出すようなもので、この奇跡は、事件の神様の存在なしには説明がつかないものでした。
読者の皆様の中には、「何だか、宗教めいたことを言っている」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、このことは、人間の能力の限界を超えて事件捜査に従事したことのある者だけにしか理解できないことなのです。
私は、刑事としての知識と経験の上に、多くのストーカーと対面したことでより深くストーカーの実態を知ることができたと思っています。
◇ ストーカー規制法が制定された経緯
ストーカー(英語:stalker)とは、ウィキペディアでは、「特定の人につきまとい行為をする人のこと。つきまとい行為は『ストーキング(英:stalking)』『ストーカー行為』ともいう。」と解説されています。
はじめにでも述べましたが、ストーカー規制法は、1999年10月に発生した「桶川ストーカー殺人」をきっかけに2000年に制定されました。
桶川ストーカー殺人とは、埼玉県桶川市 で女子大生(当時21歳)が元交際相手の男を中心とする犯人グループの男らによって刃物で刺殺された事件です。
被害者の女子大生やその父親が何度も警察に助けを求めていたのに、警察が適切な対応を取らなかったためにこの事件を発生させてしまいました。
当然のことですが、警察の対応を厳しく非難する世論が巻き起こり、警察は窮地に立たされました。
警察は猛省すると同時に、二度とこのような悲惨な事件を発生させないようにするためにストーカーに対する様々な取り組みを始めました。
しかし、その後も、被害者が警察に相談していたにも関わらず、被害を防止できなかった次のようなストーカー殺人等が発生してしまいます。
○ 2011年12月 長崎ストーカー殺人
長崎県西海市で、女性の母親(当時56歳)と祖母(当時77歳)が元交際相手の男によって刃物で刺殺された。女性は居住していた千葉県から実家のある長崎県に避難しており家族が被害に遭った。
○ 2012年11月 逗子ストーカー殺人
神奈川県逗子市で、女性(当時33歳)が元交際相手の男によって刃物で刺殺された。男はその後自殺。男はインターネットや探偵事務所を使って女性の居場所を調べていた。
○ 2013年10月 三鷹ストーカー殺人
東京都三鷹市で、女子高生(当時18歳)が元交際相手の男によって刃物で刺殺された。男は女性の自宅に隠れており、帰宅した女性を襲った。さらに男は女子高生の性的画像をインターネットで拡散させた。この事件をきっかけに「リベンジポルノ防止法」が制定された。
○ 2016年5月 小金井ストーカー殺人未遂
東京都小金井市で、女性アイドル(当時20歳)がライブ会場に押し掛けてきたファンの男に刃物で刺され瀕死の重傷を負った。
○ 2020年8月 中野ストーカー殺人
東京都中野区で、洋菓子店員の女性(当時38歳)が元交際相手の男によって刺殺された。男はその後自殺。事件発生の約4か月前、被害者の申し出を受けて警察は対応を打ち切っていた。
特に私は、小金井ストーカー殺人未遂については、血が飛び散っていた現場の状況が今でも目に焼き付いて離れません。
当時私は、警視庁第三機動捜査隊長として約100人の捜査員を率いて、東京都西部に位置する20署の警察署のエリア内で発生する重要凶悪事件の初動捜査を担当しており、小金井警察署も管轄内でした。
その日は土曜日で、私は東京都千代田区の警視庁幹部公舎で突発的な事件発生に備えて待機していました。
夕方近くになって、当番勤務の警部から事件発生の第一報が入りました。
私は、捜査用車両の後部座席に乗り込むと、運転担当に命じて赤色灯を点灯、サイレンを吹鳴させて中央高速道路を西に向かって緊急走行させました。
私は、走行中も無線や携帯電話を使って初動捜査の指揮を執っていたのですが、捜査員から次々に入ってくる情報で、被害者の女性が犯人の男から刃物で刺され瀕死の重傷を負って緊急搬送されたこと、犯人は現場で確保されていること、被害者は犯人からのストーカー被害を警視庁武蔵野警察署に相談していたことなどが判明しました。
犯人の身柄は既に確保されていましたが、私は警察が被害者から相談を受けていたにも関わらず事件を発生させてしまったことを重く受け止めて、刑事部内の捜査第一課、鑑識課、捜査支援分析センターの幹部に電話をかけて現場への臨場を要請しました。
現場に到着してみると、制服警察官が立入禁止のテープを貼って現場保存をしていました。
フロアーの床に飛び散った血液は凝固し始めており、警視庁本部の鑑識課員によって鑑識活動が行われていました。
私は、現場の状況を一通り観察してから、初動捜査の指揮本部を設置するために小金井警察署に向かいました。
小金井警察署に到着すると講堂に陣取って、次々に入ってくる情報をホワイトボードにまとめさせました。
そうしている閒に、刑事部各所属の捜査幹部やストーカー対策の専門部隊である人身安全関連事案事態対処チームの捜査幹部が次々に集まってきました。
各所属の警視や警部の捜査幹部は、講堂の指揮本部で情報を共有し、それぞれの所属の捜査員を動かしました。
私たち第三機動捜査隊は、被害者が生命の危機から脱してくれることを祈りながら、現場周辺の遺留品の発見活動、防犯カメラ画像の回収、目撃者の確保など、時間の経過とともに滅失する証拠の収集に全力を尽くしました。
その後幸いに、被害者は一命を取り止めましたが、私は、被害者が身の危険を強く警察に訴えていたのにどうして事件を防げなかったのだろうと思い、同じ組織に身を置く者として私の心は大きく揺れました。
被害者の人生を大きく狂わせてしまい、さらに、その心と身体に生涯消えない傷跡を残させてしまったことが悔やまれてなりません。
◇ 桶川ストーカー殺人事件
私は、2021年6月22日、警視庁本部大会議室で行われた、桶川ストーカー殺人事件の被害者・猪野詩織さんの父親である、猪野憲一さんの講演を聞く機会を得ました。
私は、溺愛する詩織さんを獣のような男たちの手によって殺害された猪野氏の怒りや悲しみを目の当たりにして、あまりにも痛ましく胸が締め付けられました。
私にも、娘や孫娘がいますが、もし詩織さんと同じような目に遭わされたらと思うと胸が張り裂けそうでした。
猪野氏と詩織さんが、当時、自宅を管轄する警察署に何度も助けを求めたのに、その警察署は民事不介入を決め込んで、門前払いの対応をしたそうです。
犯人グループは、猪野氏の自宅周辺に詩織さんを誹謗中傷するビラを何百枚も撒いたり、猪野氏の自宅に車で押し掛けて大音量で詩織さんを誹謗中傷したのに、その警察署は介入しなかったそうです。
当時の担当者は、いったい何のために警察官になったのか、正義を貫くためには自分の命を捨ててでも立ち向かうのが警察官ではないのか、と私は激しい憤りを覚えました。
詩織さんの犠牲の上に、ストーカー規制法が成立しました。
詩織さんが被害に遭ったのが、1999年10月26日で、ストーカー規制法が成立したのが、2000年5月18日という異例の速さだったそうです。
その5月18日は、奇しくも詩織さんの誕生日だったそうです。
この事件の真実を報道してくれた二人のジャーナリストが、世論を動かし、国会を動かしたそうです。
その後も猪野氏は、裁判で闘い、国会議員に説明し、弁護士と共に様々な活動を行って、ストーカー規制法の一部改正にも尽力されました。
私は、猪野氏やご家族にとって、詩織さんの死を絶対に無駄にしないという思いが、生きていくことの支えになってきたのだろうと思いました。
詩織さんは、殺される前に、11歳離れた幼い弟を膝に乗せて「お姉ちゃんはもしかしたらいなくなっちゃうかも知れないけど、お姉ちゃんのことを忘れないでね」と言ったそうです。
私はこの話を聞いて、かわいそうで、かわいそうで、涙があふれて仕方ありませんでした。
こうして当時のことを書いている今も涙で文字がよく見えなくなっています。
私はこの事件に携わって何としても詩織さんを助けたかったと強く思いながら、過去に取り扱ったことのあるストーカー事件を思い出していました。
◇ 上野警察署でのストーカー事件
私は、2006年から2008年にかけて、警視庁上野警察署の刑事課長として勤務しました。
当時、飲食店を経営する30歳代の女性から「50歳代の客の男からつきまとわれて嫌がらせを受けている」との相談を受理しました。
その女性は、恐怖心と絶望感で打ちひしがれていました。
私は、悲惨な事件に発展する前に、何とかして早急にこの男の身柄を確保しなければならないと考えて直ぐに動きました。
部下任せにしないで自分で直接動くのが私の流儀でしたが、組織内では「管理職の立場なのに刑事課長が自分で動いていいのか」との批判もありました。
しかし、私にとっては、管理職としの適性を人事課から好評価されることよりも、被害者を早く助けることの方が大事でした。
その犯人の居場所は分からず、携帯電話で何度呼び出しても応じなかったので、軽犯罪法違反(つきまといの罪)で逮捕状を取り、犯人が移動手段に使っていた車を追い掛け回して逮捕しました。
当時のストーカー規制法は、まだまだ使い勝手が悪く、軽犯罪法の方がスピーディに動けたのです。
逮捕時に犯人は、被害者の性器もあらわになった裸のポラロイド写真を数枚所持していました。
私は犯人にポラロイド写真を所有権放棄させて、被害者の立ち会いの下にシュレッダーにかけてやりました。
いくら所有権放棄させているとはいえ、ポラロイド写真は何らかの証拠品になる可能性がありますから、大抵の管理職は後で非難を受けないように保管しておくと思います。
私はそんな保身よりも、たとえ警察署の中だけだとしても、裸の写真が残されていることを考え続けなければならない被害者の気持ちを大切にしたかったのです。
当時はまだSNSが普及していませんでしたので、被害者の裸の写真が拡散されるようなことはありませんでしたが、今だったら被害者は大変な辱めを受けていたと思います。
逮捕後、私が犯人の取り調べを担当して二度と被害者に近付かないように厳しく追及しました。
どのような取り調べになったかは容易に想像がつくと想います。
軽犯罪法違反ですから、犯人には勾留がつかずに釈放になりましたが、その後男が被害者に近付くことはありませんでした。
軽犯罪法違反の犯人を、刑事課長が直接取り調べることは通常ありません。
しかし、通常ではないことをしてでも被害者を守るのが私の性分なのです。
私は、そんなことを思い出しながら、猪野氏の話を聞いていました。
猪野氏は、講演の終盤で、社会に望むこと、伝えたいこととして、
○ 命の大切さを一番に考えてください
○ マスコミ報道を鵜呑みにしないでください
○ 被害者を蔑視しないで、気軽に対応してください
○ ストーカーの加害者は、犯罪者であり被害者は悪くないことを理解してあげてください
○ 事件に発展しそうな時は、学校の先生、弁護士、行政の窓口、友人知人等に相談の上、警察にうまく橋渡をしてください
○ みんなで、地域で「安全の壁」を張り巡らしストーカー事件を無くしていきましょう
(全てパワーポイントの原文のまま)と訴えました。
私は、怒りや悲しみを乗り越えて、ストーカー被害の撲滅を訴える猪野氏の凜とした姿に大変心を打たれました。
このような悲惨な事件を背景に、ストーカー規制法は一部改正が繰り返されて強化されてきました。
第3章に続く...
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