REPORTレポート

2026年10月10日・11日開催|令和8年 越ヶ谷秋まつり「神さまが町をめぐる、神輿行列と8台の山車」

2026.09.27   1,787PV

2026年10月10日・11日開催の越ヶ谷秋まつり。久伊豆神社の神輿渡御、300~400人の行列、八ヶ町の山車、木遣りやお囃子を写真で紹介。祭りの由来から還御、次世代への継承までをたどります。

越ヶ谷秋まつりのメインイメージ
2026年10月10日・11日開催 / 久伊豆神社例大祭

神さまが
町をめぐる二日間。

深夜の太鼓から、白い装束の行列、八つの町の山車、夕暮れの還御へ。越ヶ谷の人々が受け継いできた祭りの物語をたどります。

埼玉最大級の神輿行列と8台の山車を、12枚のパネルとともに。

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THE STORY OF KOSHIGAYA AKI MATSURI

越ヶ谷の町が、
祭りでひとつになる。

久伊豆神社の神さまを町にお迎えし、八ヶ町が役割を分かち合う越ヶ谷秋まつり。太鼓の音で始まり、神輿と山車が町をめぐり、次の世代へ受け継がれていく祭りです。

越ヶ谷秋まつりを描いた紹介パネル
久伊豆神社例大祭・越ヶ谷秋まつり
昔の越ヶ谷秋まつりの記録写真
01|序 町の歩みとともに続く祭り
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祭りは、町の歩みとともに。 元禄時代から続く越ヶ谷の祭り

越ヶ谷秋まつりは、元禄時代(1690年ごろ)から続く、五穀豊穣と地域の発展を祈る旧越ヶ谷町の祭りです。宮本町の氏子が担ぐ鳳輦(神輿)と、旧越ヶ谷の八ヶ町の山車が特徴で、「サイジンサマのお祭り」として親しまれてきました。

戦後には沈んだ空気を吹き飛ばそうと、当時としては破格の100万円をかけて行われ、「百万円のバカ祭り」として新聞にも載りました。神輿や山車が出る年を「本祭り」、出ない年を「陰祭り」と呼び、かつては2年に1度の実施でした。コロナ禍を経て令和6年に5年ぶりに行われ、令和8年には越谷市無形民俗文化財に指定されました。

神酒所で演奏する囃子方と前夜の祭り
02|神酒所開きと一番太鼓
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深夜零時、太鼓が告げる。 前夜の神酒所開きから祭りの朝へ

本祭り前日の夕方、山車を持つ八ヶ町では「神酒所開き」が行われます。たとえば新石一丁目では、青年会所に酒樽を用意し、越谷の木遣歌で行事が始まります。鏡開きが行われ、最後は越ヶ谷締めで締めくくられます。

やがて午前0時の「一番太鼓」。年番町が太鼓を鳴らすと、ほかの七ヶ町にもお囃子の音がリレーのように広がります。初日と2日目の朝6時には、八ヶ町がいっせいにお囃子を鳴らします。

久伊豆神社の拝殿、鳳輦と祭りの経路図
03|渡御 神さまを町に迎える
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神さまが、町へ出発する。 久伊豆神社から御仮舎へ

2日間にわたる本祭りは、久伊豆神社の神さまを町にお迎えする「神輿渡御」から始まります。初日の朝、久伊豆神社で祭りの代表たちが集まり、御神霊を鳳輦にうつす式が行われます。

神さまを乗せた鳳輦は宮本町の担ぎ手に受け渡され、行列が出発。参道を通って旧日光街道へ進み、八ヶ町の山車がこれを迎えます。山車が加わった神幸行列は、町や越谷駅前をめぐりながら御仮舎へ進みます。

白装束の人々と稚児巫女が連なる神幸行列
04|行列 300~400人が練り歩く
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祈りをつなぐ、大行列。 約300~400人の担い手

鳳輦を中心に進む神幸行列は、埼玉最大級の規模を誇り、41種の役割・担当があり、総勢300~400人にのぼります。先頭には年番町の町内鳶と、たっつけ袴に草鞋をはき、金棒を持つ若い女性「おまつりこ」が立ちます。

つづいて年番青年会が「越谷の木遣歌」を歌いながら行列を先導。稚児巫女、年番警護、神社世話人、来賓、氏子総代などが並びます。宮本町の氏子は装束をまとって威儀物や鳳輦を担ぎ、後方には8台の山車が加わります。

鳳輦を担ぐ宮本町の氏子
05|鳳輦 選ばれた人々が担う
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鳳輦を担ぐ、選ばれた人々。 宮本町に伝わる大切な決まり

久伊豆神社の鳳輦は担ぎ棒が2本しかない、かなり古い作り。そのため横に揺れやすく、行列ではゆっくり進みます。旧日光街道との合流地点や駅前などでは、鳳輦を大きく揺らす見せ場もあります。

この鳳輦を担ぐのは、白い装束を着た宮本町(旧四丁野)の氏子だけ。昔からの大切な決まりごとです。年番町の青年会には鳳輦の受け渡しや御仮舎での上げ下ろしの役目がありますが、担ぎ棒に肩を入れることは許されていません。担ぎ手は今も特別な役割として大切に受け継がれています。

町に設けられた御仮舎と鳳輦
06|年番と御仮舎 神さまが泊まる町
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神さまを迎える、年番町。 八ヶ町が順に担う祭りの中心

八ヶ町はそれぞれ山車を持ち、順番に「年番」という大切な役目を務めます。年番町はその年の本祭りの中心となり、準備や運営を行います。

御仮舎は、鳳輦に乗って町に来られた御神霊が一泊する仮のお宮です。年番町内に建てられ、本町側が年番なら本町側の町内鳶、新町側なら新町側の町内鳶が御仮舎を作り、御神霊を迎えます。これは年番町にとって大きな名誉です。

八ヶ町ではない周辺の町の氏子も、昔から付き合いのある八ヶ町の山車を曳いて参加します。
各町の人形を飾った山車
07|山車の特徴と曳き廻し
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八つの町、八台の山車。 人形を掲げ、町をめぐる

越ヶ谷宿の八ヶ町それぞれの山車が町をめぐります。山車の上には、町ごとに趣向を凝らした人形が飾られています。「ハマ」と呼ばれる車輪が3つなのも越ヶ谷の山車の特徴で、4輪よりも古い形式です。

交差点では町内鳶が前輪を持ち上げ、気合いを入れて一気に回します。この迫力ある「山車の転回」が見られるのは、大沢橋、越谷二丁目、瓦曽根境界の3つの交差点です。曳き廻しは2日間で6回。渡御と還御では8台がそろい、乱曳きでは4台ずつが町をめぐります。

木遣りを歌う人々、山車のお囃子と神楽
08|木遣りやお囃子が町に響く
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町に響く、祭りの声。 木遣り、お囃子、神楽

越ヶ谷秋まつりでは、越谷市の無形民俗文化財第一号「越谷の木遣歌」が響きます。渡御や還御の行列では年番町の青年会が歌いながら進み、宴席の締めくくりでも「締めの木遣り」として歌われてきました。

お囃子は囃子連中が山車に乗って演奏。町ごとの「掛屋台」からは、山車が通るたびに「お迎え囃子」が響きます。さらに神楽も披露され、祭りをいっそう盛り上げます。

夕暮れの神輿還御と神社での儀式
09|還御・引継ぎ行事
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夕暮れ、神さまを送り届ける。 還御から次の年番町へ

2日目は、久伊豆神社の神さまが御仮舎から神社へ戻る「神輿還御」です。昼すぎに出発の儀式が行われ、祭りの代表や関係者が神さまの出発を告げます。

鳳輦は年番青年会から宮本町の白丁に引き渡され、行列は越ヶ谷の町をめぐり神社へ向かいます。八ヶ町の山車は途中で鳳輦を見送り、宮前橋では心に残る還御の光景が広がります。

神社では感謝を込めて到着の儀式が行われ、次の年番町へ役目を引き継ぐ「引継ぎ行事」、そして「越ヶ谷締め」で一連の儀式が締めくくられます。

夜の町を練り歩く山車と集まる人々
10|乱曳き 祭りにあふれる町の誇り
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夜の町に、山車が集う。 曳き廻しに宿る町の誇り

渡御や還御のほかに、4回の乱曳きが行われます。本町側と新町側に分かれ、それぞれ4台ずつ、計8台の山車が町をめぐります。

かつては時間も順番も決まっておらず、「御仮舎の前を通ればよい」という緩やかなルールのため、夜中まで山車が戻らないこともあったそうです。同じ越ヶ谷町の住民同士、ふだんは仲がよくても、祭りになると町の誇りをかけて競い合う。乱曳きには、そんな町の熱気が息づいています。

THE STORY CONTINUES

そして祭りは、
子どもたちへ。

深夜の太鼓も、鳳輦を迎える町も、山車を曳く人々も。
受け継がれてきた時間の先に、次の祭りを担う子どもたちがいます。

祭りを受け継ぐ子どもたちの姿

越ヶ谷秋まつりは、これからも町の人々とともに続いていきます。

令和8年 越ヶ谷秋まつり 山車曳き参加者募集

今年は家族で、
山車を曳いてみませんか?

掛け声やお囃子に包まれながら、越ヶ谷秋まつりに参加する2日間。山車を曳くお子さまとご家族を募集しています。

山車曳き参加の詳細を見る →

資料・写真:越ヶ谷秋まつりの紹介パネル全12枚。
歴史編纂・制作:越ヶ谷秋まつり保存会
撮影カメラマン:田杭孝英 梅津優子
パネルデザイン:DRESSERS合同会社
WEB制作:こしがやWEB 運営 有限会社雅堂

本文はパネルの説明文をもとに再構成しています。各パネル画像は全体を表示しています。
行事の実施内容や交通規制など、当日の情報は公式サイトでご確認ください。

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この記事を書いた人

コシマロ

こしがやWEBのキャラクター、越谷だるまの「コシマロ&ミヤビちゃん」です。編集部スタッフとして越谷市内の最新イベントや街の旬な情報をお届けします。運営事務局による確かな情報確認のもと「地域密着ガイド」として活躍中🎵

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